今回は、公益財団法人 日本釣振興会が提唱している「釣り人宣言」からのスタートです。
私たち釣り人は、釣りを通して青少年の健全な成長を促すとともに、釣り文化を継承していきます。また将来にわたり国内外問わず多くの人々が釣りに親しめるよう、ルール・マナーを守り、安全を最優先し、自然環境に配慮をします。そのために、水辺の監視人として以下のことを宣言します。
1.ルールを守ります
⚫︎遊漁(釣り)に関する法令・規則を守ります ⚫︎違法駐車・迷惑駐車はしません
1.マナーの向上に努め、自然環境美化・保全に務めます
⚫︎釣り場をきれいに保つため、使用した釣具やゴミは必ず持ち帰ります
⚫︎漁業者や近隣住民の迷惑になる行為はしません
1.楽しい釣りをするため、安全対策に努め事故を防ぎます
⚫︎ライフジャケットを積極的に着用し、水辺での安全に注意を払います
⚫︎安全を最優先として、荒天時は無理せず釣りを中止します
1.健全なレジャーとして「釣り文化」を継承していきます
⚫︎より多くの人々に釣りの楽しさと自然の大切さを伝えていきます
1.自然界(常駐管理者のいない港湾や漁港等を含む)で釣りをする場合、
釣り人自身で安全対策に留意すると共に、事故が起きた場合は全て自己責任とします。
(以上、日本釣振興会オフィシャルwebサイト 「釣り人宣言」ページより)
五ヶ条の釣り人宣言の前文に「水辺の監視人」(上記赤字部分)なる言葉が記されています。そして以下に、「釣り人=水辺の監視人」のひとつの例と思えるエピソードを紹介します。
もう20年ほど前になるでしょうか。大阪の淀川(枚方大橋付近)でバス釣りをしていたときの出来事。同じようにバス釣りをされていた男性が、少し興奮気味に話しかけてきました。
話をかいつまむと、
さっきそこで子どもが川に流されて、危なかった!なんとか手を伸ばして子どもを掴んで引き上げた!
おかあさんはオロオロするだけで、もう、しっかりと子どもを見とけっちゅうねん!とのこと。
その釣り人本人はそんなつもりは毛頭なかったのでしょうが図らずも、水辺で遊ぶ子どもの命の監視人(あるいは恩人)になったわけです。「釣り人のおかげだ」「だから釣り人は偉い」とか、そんなことを言いたいわけではありません。
暑い季節になれば、人が涼を求めて水辺に集まるのは世の常。しかし水辺には、少なからず危険が潜んでいます。もちろんすべてとは言いません。中にはさまざまな不運が重なって事故にいたってしまった方々もおられることでしょう。けれど、不幸にも水難事故に見舞われてしまった人の多くは、危険意識が少し不足していたのではないかと感じるのです。もちろん、それを非難しているわけではありません。海や池、湖、川に、年数回しか訪れない人たちに、あらゆる危険を想像・想定し、準備を万端にせよというのはまったく現実的ではありません。
だからこそ、ある程度経験値が高く、水辺のあれこれに詳しく、季節に関係なく水辺に出かける釣り人が、水辺に集う人々をそっと見守る「水辺の監視人」として機能すれば、水難事故で命を落とすような不幸を少しでも減らすことができるのでは? 実際、先ほどご紹介したエピソードでは、たまたまそこにバス釣りをしている男性がいなければ、お子さんがどうなっていたのか。最悪の事態も想定できる状況だったはずです。
だからこそ釣りをしながら、なんとなく周りを気にする。もしも水遊びをされている方の中で、(ちょっと危ないな)と感じる方がいたのなら注意ではなく、「声がけ」の感覚が個人的にはいいのかなと思っています。頭ごなしの注意ではなく、同じ目線で声をかけ、こんなことがあるから気をつけたほうがいいですよとお話しする。そして、万一の際には、(自分の身の安全を確保しながら)できる限りのことをする。水難事故のニュースに触れるたびに、そんなことを考えている今日この頃です。
ただ、マナーの問題で、釣り人が水辺から閉め出されているところも実際多く、(なんだかなあ〜)の思いもあります。冒頭の「釣り人宣言」とは程遠いおこないがもとで、せっかくの経験を活かした「水辺の監視人」になれない。さらに、荒天下での釣りや立入禁止エリアでの遭難など、釣り関連の水難事故も多いなど、釣り人の質が根本的に上がらない限り、監視人なんて戯言であることも重々わかっている2025年、夏。
(なんの結論もないダラダラな文章を反省しつつ)
今回は、そんなところで。
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